「じん肺」について

毛利 一平

坪一さんのお話に出てくる「じん(塵)肺」について解説しておきましょう。

これは肺の病気で、文字通り粉じん(塵)、つまりほこりを吸い込むことによって肺が壊れ、固くなり、ひどくなると呼吸が困難になります。

 

もちろん、ほこりとはいっても皆さんが部屋ではたきをかけた程度でおきる病気ではないのでご安心を。

医学的に問題になるのは鉱山や炭鉱をはじめ、様々な仕事の現場で長期間、そして大量にほこりを吸い込んでしまった場合です。

ヒトがほこりを吸い込んだ時、大きなものは鼻毛で捕まえられ、小さめのものは痰として外に出すことができるのですが、さらに小さい、4㎛(ミクロン)以下のものは肺の一番奥深く、肺胞という場所までたどり着いてじん肺を引き起こします。

図:肺胞の仕組み 
図:肺胞の仕組み 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肺の奥底はブドウの房のようになっていて、一つ一つの袋の中に酸素(空気)が届く(青い矢印)と、袋の表面で酸素と二酸化炭素(黄色い矢印)が入れ替わります。粉じんがここまで届くと、壁の表面で炎症を起こし、壁が硬くなり、やがて壊れてゆくのです。

肺というのは図のようになっていて、ブドウの粒のように見えるのが肺胞です。

ほこりは体にとって外からやってきた邪魔ものなので、やっつけようとして免疫という仕組みが働くのですが、その結果肺にキズができ、肺胞の壁が硬くなったり、壊れたりします。

 

じん肺がひどくなると、酸素をうまく取り込むことができず息苦しくなります。

常時酸素の吸入が必要になり、外出するにも酸素ボンベが必要になってきます。酸素がなければまともに歩くことさえできず、よろよろと歩くようになることから、かつて「ヨイヨイ」、「よろけ」と呼ばれ恐れられていた時代もありました。

 

じん肺は最も古い職業病ともいわれます。

証拠があるわけではないのですが、ヒトが石を加工するようになった石器時代には患者がいただろうという説もあります。

 

まさしく有史以来、岩を砕き、金属を取り出したりする作業には、常に付きまとってきた病気のはずですが、その症状が正しくまとめられ、病気としてはじめて記録されたのは中国・宋の時代(1100年頃?)、あるいは1556年のヨーロッパとされています。

 

産業革命以後、じん肺はすさまじい勢いで労働者の中に広がりました。

鉱山や炭鉱はもちろんのこと、窯業、鋳物、溶接、トンネル工事に建築業などなど、およそほこりがひどく立つ仕事であれば何でも、じん肺患者が発生したといってよいかもしれません。

ほこりが出ないようにする、吸わないようにする対策が不十分だった時代、たくさんの労働者がじん肺で苦しむことになりました。

 

坪一さんも働いた足尾銅山で、昭和初期に行われた調査の結果によると、坑内労働者327人のうち実に85%でレントゲンの異常が見つかったという記録も残っています。

戦争が終わって、昭和21年にはこの足尾町で町民大会が開かれ、鉱山の復興とともに「よろけ」撲滅が決議されます。これが戦後日本のじん肺対策の契機になったとされています。

 

続いて昭和35年には「じん肺法」が施行され、予防対策も本格化されます。

対策が進んだ一方で鉱工業が衰退するなど産業構造が変わったこともあり、じん肺患者は減少します。1984年、全国のじん肺健診で異常が発見された労働者の数は4万人を超えていましたが、2016年には1800人にまで減っています。

 

 

鉱山や炭鉱で働く人の、いわば“古い”じん肺は減りましたが、一方で建設労働者などの“新しい”じん肺はまだまだこれからの問題といえます。

不安定な仕事を続けてきた仲間の中には、長く粉じん職場で働いてきた人も少なくないはずです。

 

どんなふうに働いてきたのか、一人一人のヒストリーに耳を傾けて、生活困窮の原因としてじん肺がなかったか、よく目を光らせておく必要があります。職業病として認められれば、立ち直るきっかけとなる場合もあるのですから。

 

文・毛利 一平         

(医師/亀戸ひまわり診療所所長)